寸評 2009年

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◎=絶賛 ○=よい
2009
タイトル 著者 出版社 価格 読了日 感想
批判的主体の形成[増補改訂版] 田川建三 洋泉社 1,700 2009/12/25 ○ 田川建三さんの最初の著作集が、増補改訂版として新書の形で再発行。 但し旧版に比べて内容的には大幅に増補あるいは削除されているので、 旧版を持っていても購入する価値がある。 祈ると言う行為に内在する矛盾と虚偽性を浮き彫りにする「存在しない神に祈る」。 遠藤周作文学に描かれる弱者としてのイエス像を批判する「弱者の論理」。 和辻哲郎の風土論をイスラエル思想史を例に批判する「イエスの辺境性」。 現実に立脚した原始キリスト教からパウロの観念的思想への転換を論じた「人間の自由と解放」。 平田清明のマルクス論の思想構造を批判する「キリスト教と市民社会」。 国際基督教大学の全共闘時代に当時講師だった田川さんがどう向かい合ったかを記録した「授業拒否の前後」。 田川さんの宗教批判の姿勢は、当時から今に至るまで一貫している。 しかもこの本が書かれた頃、田川さんは今の私よりもずっと若かった訳で、 改めて凄い人だと思い直した次第。
きのうの神さま 西川美和 ポプラ社 借1,400 2009/12/22 ◎ 著者による脚本・監督の映画作品と同様に、 人間の隠された内面を鋭く冷ややかに見つめた、5つの小説を収録。 中学時代に、塾に通う路線バス運転手の意外な一面を垣間見た記憶「1983年のほたる」。 3日間だけ島の医師の代役を務めた男と患者たち、死ぬ注射をせがむ老婆との対話「ありの行列」。 表向きは完璧な医師である夫を、冷ややかに、しかし賢くあしらう妻の「ノミの愛情」。 医師である父に憧れながら医師になれなかった兄の心の開放を、ようやく弟が理解する「ディア・ドクター」。 古い港町で4年間医師を務めた男、その最後の往診に応じた老婆と、彼女を世話する孫娘の「満月の代弁者」。 意外なことに、 映画『ディア・ドクター』(→2009/07/15) の物語の本筋となる部分は、小説には出て来ない。 後書きにある通り、医療関係者などへの取材の成果の中で、 映画では語り切れなかった部分を小説化したとのこと。
星守る犬 村上たかし 双葉社 借762 2009/12/07 ○ 奥深い山林の放置車両の中で発見された、男性および犬の遺体。 時は遡って数年前、犬が男性宅に拾われた頃から、さまざまな悲劇を経て、ついに この地で果てるまでの、あまりにも切ない記憶の数々が、犬の視点から語られる。 いかにもお涙頂戴の話であり、実際ちょっと泣かされてしまったが、 物語は完全にこの現代の社会問題を背景としている。 主人公の男性も至って普通の人であり、つまりきっかけ一つで 誰にでも起こり得る悲劇でもある。 最後に、遺体を引き取ることになった町職員が、自身の飼い犬との思い出を振り返る 続編「日輪草」が付されている。これは、男性および犬への追悼文と言える。
差別と日本人 野中広務・辛淑玉 角川書店 借724 2009/12/06 日本人の部落や在日に対する差別について、真っ向から取り組んだ対談。 野中氏がこのようなことで苦難を背負ってきたことは知らなかったし、 氏が取り組んできた、あるいは取り組まざるを得なかった仕事の数々には、 頭が下がる。また辛氏の、 問題の背景までも綿密に掘り下げて対談に臨んでいることや、 臆することなく自身の考えをぶつける姿勢にも、頭が下がる。 ただ野中氏自身も、政敵に対して無条件の差別的見解を頻発させていて、 また不都合な追求に対し「知らなかった」とやや無責任に片付ける場面が多く、 どうも引っかかってしまう感じがあった。 また、辛氏が挿入した注釈には、 あまりにも一方の立場の肩を持ち過ぎている傾向があり、 やや説得力を落としている気も少々。
この世でいちばん大事な「カネ」の話 西原理恵子 理論社 借1,300 2009/12/01 ◎ ストレートに語ることが何となく憚られる「お金」の観点から、 著者自身の実体験を元に本音で語った、自伝的エッセイ。 手書きマンガ風の見出しがついていて、一見軽そうな内容にも見えるが、 実際には極めて重く、極めて真剣な内容。 町全体が貧しかった子供時代、やはり貧しかった美大生時代、 自分で稼げるようになった頃、ギャンブルで借金漬けの頃、 そして現在に至るまで、著者の体験はまさに壮絶そのもの。 だからこそ、「働くことが希望になる」と言う著者の語り掛けは、 非常な説得力を持っている。 実際に自分で体験したことを元に書く、 そのためなら自身を極限状態に追い込むことさえ厭わない、 そんな著者の生き方は、一昔前の「文士」のような印象さえある。
メタボラ 桐野夏生 朝日新聞社 借2,000 2009/11/17 ◎ 記憶を失い全身傷だらけで沖縄・山原の原野を彷徨っていた男と、 矯正施設から脱走を図った宮古島出身の若者。 過去の自分から逃げ続けるこの二人が、それぞれ激変する運命を受け容ながら、 何とか生き延びようとする物語。 一見サスペンスのようでいて、NEETや引きこもり、集団自殺者、カルト、 外国人労働者や派遣社員の待遇、沖縄の社会状況など、 色々な社会問題をこってりと盛り込みながら、物語は予想も付かない展開を見せる。 全594ページの大作だが、彼らを巻き込む状況の変化が気になって、 途中で止められない面白さがある。 ただ、納得性のある結末にはなっていないので、何となくすっきりしない読後感。 沖縄・宮古・八重山の言葉や地名が頻発するので、 オキナワ好きの人には別の観点でも楽しめる。
新約聖書 訳と註 第四巻 パウロ書簡その二/擬似パウロ書簡 田川建三 作品社 6,000 2009/10/25 ◎ ほぼ年1巻のペースで刊行されている田川建三さんの新約聖書の訳と註、 第3回配本はパウロ書簡の続編。 キリスト教徒でも何でもない私にとって、パウロ書簡は (福音書に比べると)全然面白さが分からない書物だったが、 この本のお蔭で(文書の内容はさて置き)歴史的文書としての面白さが 初めて分かった気する。 本文の訳が96ページ、註が680ページ、解説と後書きが40ページと、 例によって膨大な訳註が中心をなしている。 訳文は、原文に一字一句忠実であることを謳っている通り、 回りくどい言い回しがなく、すっきりと読み易く、 そして原語を知らない私にも原文の雰囲気を味わわせてくれる。 註では、口語訳や新共同訳、各種の欧文訳を俎上に載せ、 問題があれば容赦なく指摘する。 正否に関わらず必ず根拠が示されているため、非常に納得性が高い。 なお、今回から本の外箱の仕様が変更され、 以前は筒状の箱(に帯掛け)だったのが、 今回から普通の(背の部分がある)箱状になった。 しかし、箱の大きさがかなり窮屈で、箱から本体の出し入れは以前にも増して困難。 次回は、外箱の幅を広くして欲しい。
薄闇シルエット 角田光代 角川書店 514 2009/10/25 ◎ 小さな古着屋を友人と共同経営する、三十台半ばを過ぎた独身女性。 自分なりに、自分のやりたいことを上手くやって生きてきたつもりだったのに、 これからもこんな生活が続いて行くと思っていたのに、 恋人は去り、友人たちは離れ、周囲は少しずつ、何かが変わってゆく。 ずんずん前に進んでゆく仲間たちの中で、今のまま何も変わりたくない、 しかし行き詰まりを自覚せざるを得ない、そんな主人公に姿に、 否応なしに我が姿を振り返させられ、身につまされる思いがする。 今の自分にとって、これ程までに深く突き刺さって来た小説はなかった程。 傑作の多い角田さんの作品群の中でも、 私には『八日目の蝉』や『対岸の彼女』に匹敵する大傑作に思われる。
ARTのパワースポット 横尾忠則 筑摩書房 借2,980 2009/10/15 ○ 横尾忠則さんが、1992年までの15年間に書いた、 アートに関する様々なエッセイを集大成した本で、 本文だけでも568ページもある大作。 自身の芸術については勿論のこと、現代美術、東洋美術、宗教や心理学、 イラストレーションやデザイン、映画、演劇、写真、音楽、小説など、 横尾さんの関心は極めて多方面に渡る。 様々な機会に書かれた文章が集められているので、内容の重複もある、 それがそのまま横尾さんの関心の度合いの高さを示しているよう。 最終章では、横尾さんが出会った著名人たちとの交友について書かれていて、 画家、デザイナー、演出家、作家、俳優など、交友関係も広範。 特に、三島由紀夫や瀬戸内寂聴との親交は、彼らの人となりが伝わって来て興味深い。
導かれて、旅 横尾忠則 日本交通公社 借1,400 2009/10/04 ○ 横尾さんが、日本の(時には外国も)あちこちの「霊的」な場所を訪ね歩いた旅行記。 あるがままの旅路の様子が、事細かに記録されていて、 さり気ない言動の中にも、横尾さんの独特の視点や考え方が浮かび上がる。 郵便や滝などに対する、横尾さんの猛烈なこだわりも面白い。 当時(1990〜1991年頃)の横尾さんは「精神世界」にすっかり傾倒していたため、 (その後「足を洗った」とのこと)、UFOや心霊などの超常現象などに関する記述が 非常に多く、ちょっと面食らうところがある。 しかし、それらを知ることで、横尾さんの美術世界の根源にあるものが よく分かるようになった気もして、ますます横尾作品を楽しめるようになりそう。
ゆれる 西川美和 ポプラ社 借1,200 2009/10/01 ◎ 同名の傑作映画(→2006/08/12) の原作小説だが、映画と切り離して見ても強烈な小説作品。 故郷で地道に家業のガソリンスタンドを継いだ実直な兄と、 故郷を飛び出して奔放に生きるカメラマンの弟。 兄弟は、幼馴染の女性を誘って、3人で地元の渓谷に出掛けるが、 そこの吊り橋で予期せぬ悲劇が起こってしまう。 兄は女性を突き落としたのか否か。弟はそれを目撃していたのか否か。 裁判の進展に従って、兄弟の愛憎がグラグラと揺れ動く。 ストーリー自体は映画と同じだが、 映画以上に個々の個々の揺れる心模様が細やかに描き出されている。 特に、弟が兄の嘘に思い当たる場面など、さり気ない文章なのに、凄まじい緊張感。 章毎に一人称(すなわち語り手)を交替する構成が、極めて効果的。
四人四色 イラストレーター4人への30の質問 灘本唯人・宇野亜喜良・和田誠・横尾忠則 白水社 借2,200 2009/09/27 ○ 1960年代を共に銀座界隈で過ごした、イラストレーターでもあり グラフィックデザイナーでもあった4人が、共通の質問30題にそれぞれ回答した本。 自身の受けた影響、イラストレーションとデザインとの関係、 広告美術・挿絵・装丁への取り組み、画材や作品の題材、作品に込める意味など、 設問は各人の考えがよく分かるように組まれている。 4人それぞれ、大いに考えを語っていて、その中から、 イラストレーションやデザインを通じて時代を先導して来た 4人それぞれの姿勢が伝わって来る。 図版が一枚も含まれないのが惜しく、 せめてギンザ・グラフィック・ギャラリーで開催中の4人展で それぞれが制作したポスターだけでも収録して欲しかった。 また、4人が一度に登場して語り合う場面が設定されれば、もっと面白かったと思う。
横尾忠則自伝 「私」と言う物語1960-1984 横尾忠則 文藝春秋 借1,900 2009/09/23 ○ 横尾さんの20代半ばから40代までの物語で、ちょうど 『コブナ少年』(→2009/09/15) の続きにあたる。 イラストレーターとして上京してから、デザイナーへ、そして画家へ。 美術、演劇、映画、文学、写真、服飾、マスメディアなど あらゆる分野へと世界を拡げてゆく横尾さんの奮闘振りが語られる。 まずここでも驚かされるのは、横尾さんの記憶力の凄さ。 起こった出来事が、まるでつい昨日の出来事のように事細かに描写されている。 交友関係の幅広さも見もので、業界人は勿論、アンディ・ウォーホル、 ジャスパー・ジョーンズ、ジョン&ヨーコ、三島由紀夫、寺山修二、瀬戸内寂聴、 高倉健、桃井かおり、等々、錚々たる顔ぶれが登場。 画家宣言の契機となったピカソ展での「啓示」は勿論、 幽体離脱やUFOとの遭遇などの神秘体験に対する関心にも、 横尾作品をなす要素として興味深いものがある。
夢枕 夢絵日記 横尾忠則 NHK出版 借3,900 2009/09/20 ○ 横尾忠則さん(一つだけ横尾夫人)が見た42の夢を、絵日記風に描いたもの。 一つ一つの夢が、文と絵で見開き一ページに収録されている。 絵は、夢の中の出来事であるだけに、まさにシュルレアリスム的な超現実の世界。 絵の中には、夢の中での自身の姿が黒子のような姿で、 そして眠っている自身の姿もどこかしらに描かれていて、 分身のような状態になっている。 文章は、ほんの数行のものもあれば、かなり長文のものもあり、 分量に応じて文字の大きさが変えてあり、 一つの本の中でこんなに大小の文字が混在するのは珍しい。 横尾さんの夢に関する記憶力の凄さには、驚かされる。 出来事は細密かつ具体的で、支離滅裂ながらそれぞれ一つの物語を成していて、 訳が分からないこと自体が面白い。
ヨコオ論タダノリ 荒俣宏 平凡社 借1,900 2009/09/19 ○ 「画霊・横尾忠則」にのめり込んだ荒俣さんによる横尾忠則論。 具体的な作品を次々と採り上げながら、そこからの発見や驚愕を、 本人の実感として熱烈に論じる。 横尾さんご本人とも親しくしていらっしゃるので、 対話から得られた貴重な情報も沢山盛り込まれている。 横尾作品に対する熱狂の度合いは凄まじく、時にはやや突っ走り気味の所もあるが、 何れにせよ堅苦しい美術論とは程遠いものなので、かなり面白い。 最終章は、荒俣さんによる将来の美術への展望が述べられ、 「ファインアート」に対する「バッドテイスト」の復権として、 横尾作品の重要性を位置付けている。 紹介する作品の図版が収録されているのは嬉しいが、 モノクロでしかも小さいサイズで、解説の細部が確認できないのが惜しい。
コブナ少年 横尾忠則 文藝春秋 借1,619 2009/09/15 ○ 横尾忠則さんの、幼少期から、グラフィックデザイナーとしての仕事が軌道に乗る頃、 二十代前半までの自伝。 驚かされるのは、特に幼かった頃のことに対する記憶力の凄さ。 まるで伝記映画を見せられているかのように、事細かな出来事や、 時々の考えが描写されているのである。 女性との関係についてもまさに赤裸々に書かれていて、 横尾さんが本人の意思とは逆に、いかに女性に「もてる」男だったか分かる。 美大受験の断念や結婚などの。決定的な運命を、 まるで天命のごとく受け容れてきた姿勢が、 柔軟で多様な横尾さんの世界を形成してきたのだな、と思った。
ぶるうらんど 横尾忠則 文藝春秋 借1,333 2009/09/05 ○ 作家である主人公が経験しつつある死後の世界での出来事を描き出した、連作小説。 日常と非日常が平然と交錯する、 いかにも横尾さんらしい不可思議な世界が展開されている。 「ぶるうらんど」「アリスの穴」「CHANELの女」「聖フランチェスコ」の 4つの短篇から構成されるが、全く無関係のように思われる話が伏線になっていたり、 何とも巧妙な結び付きで繋がっていて、全体として一つの物語を成している。 冒頭の夫婦の他愛もない会話から、少しずつ異質な世界に誘われて、 次々に展開する奇妙な出来事も何だか当たり前に受け止められるようになってしまい、 突然の幕切れも何だか羨ましくさえ思えてしまった。
生きて死ぬ智慧 柳澤桂子・堀文子 小学館 借1,143 2009/09/03 ○ 生命科学者・柳澤桂子さんが「般若心経」を自由に解釈した詩文に、 日本画家・堀文子さんによる虚無感漂う絵画を組み合わせ、 更に巻末に日本文学研究者・リービ英雄さんが英訳した般若心経の対訳を付録。 黒い背景に白文字で統一されたレイアウトや、色彩を排した絵画の印象も相俟って、 深遠な感じが醸し出された、美しい本。 柳澤さんは量子物理の観点から、この世の全ては原子という粒子の集合体であり、 すなわち実体がないもので、それこそが般若心経で言う「空」である、と説いている。 この論法は、物理的な事象を抽象的な表現にうまく結び付けており、 詩的で美しい発想ではあるが、 しかし私には、どこか論点をはぐらかされたような感覚を拭い去ることができない。 もっとも、仏教的な思想に馴染みのない私は、本質を理解できていないのかも知れない。
一九四五 くまがや 夏の記憶 埼玉文学倶楽部編 埼玉文学倶楽部 埼玉県立図書館 2009/08/28 ○ 1945年8月15日未明、すなわち終戦前夜に、熊谷市は「最後の空襲」に遭い、 市街地の大半を焼失し、多く人が亡くなっているが、 この空襲を経験した十数名の人々の声を集めた小冊子。 渦中にあった人々による生々しい極限状況の記憶には、かなりの重みがある。 一方で、戦時下にあってもささやかな楽しみがあったことを回想する人もあり、 それはそれで新鮮に思えた。 何れにせよ、当時を生で知る一般の人々の声が記録されたことは、貴重なこと。 改めて思うことは、既にポツダム宣言の受諾が連合国側に伝えられた後になって、 どうして今更の空襲を行ったのだろうか。 本当に「余った爆弾をまいて行った」ようで、憤りを覚える。 巻末に、熊谷市街の焼失地域と現在の位置を示した地図が付されている。 市街の大半が焼失してしまったこともあり、 当時と今とでは道路の位置が全く異なっていることにも驚かされた。
トリップ 角田光代 光文社 495 2009/08/08 ◎ 一見地味で、特に幸福でも不幸でもない普通の人々の、 心の奥底に潜む屈折した思いをじりじりと描き出した連作小説。 10篇の短篇はそれぞれ独立しているが、前の話の登場人物がさり気なく 次の話に登場するようになっていて、全体として一連の物語を成している。 主人公は、少年や女子高生から、中年の男女まで色々だが、 誰もが自分の現在の居所について、どこか噛み合わない感覚を覚えながら、 しかし自分にはこの場所しかないことも分かってもいる。 そのどことない居心地の悪さが、とかく地に足の着かない生活をしがちな 現代人の感覚を、訥々と代弁しているような気がした。
Y字路 横尾忠則 東方出版 借5,000 2009/08/07 ○ 画家・横尾忠則のライフワークの一つである「Y字路」シリーズを、 計69点収録した画集。Y字路の、 「消失点が二つある」ことによる「謎めいた」雰囲気が、たまらなく良い。 似たようなY字路が題材であっても、作風や技法は変幻自在で、 ミステリアスなものもあれば、ギラギラとデフォルメされたもの、 超現実な場面と化したものなど、大きなヴァリエーションがあり、 ここでも横尾さんの自由自在の発想の凄さに驚かされる。 時折、横尾さんによるちょっとした解説文や、制作に使用した現場写真や構想図なども 添えられていて、ちょっと種明かしをしてもらったような嬉しい気分。 ただ、どうしても図版が小さいので、作品の現物を前にした時の、 魂を吸い込まれるようなあの圧倒的な迫力は、残念ながら味わえない。 しかし、連作としてまとまった作品数を、こうして並べて見られるのは貴重なこと。
人工庭園 横尾忠則 文藝春秋 借3,143 2009/08/06 ◎ 画家・横尾忠則の画文集で、 見開きページ毎に美術作品が一点とエッセイが配置され、計105作品を収録。 美術作品は、最初期作から最新作まで、絵画、コラージュ作品、ポスター、立体など 多種多様な作品が含まれていて、どれもギラギラと強烈な印象。 横尾さんの発想の多様性と、満ち溢れるパワーに、圧倒される。 エッセイは、そのページの美術作品に密接に関係するものもあれば、 きっかけ程度に過ぎないものもあるが、何れも横尾さんの時々刻々の考えや 画家としての姿勢などが、率直に書かれていて、文筆家としても超一流。 更に、美術作品と文章が組み合わされることで、両者の味わいが相乗効果のように 増している。かなりの濃密さと充実度を持った一冊。
散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道 梯久美子 新潮社 借476 2009/07/24 ◎ 太平洋戦争末期、米軍との熾烈な地上戦の舞台となった硫黄島。 その総指揮官であった栗林忠道の姿を、遺品や証言から浮かび上がらせる ノンフィクション。 何よりも印象深いのは、彼が妻や家族に宛てた手紙の家庭的な親密さ。 柔和な人柄で、広い視野を持った人であったことは、生き残った兵士の証言からも 裏付けられているが、これらが記されたのが戦時下と言う時代であることを考えると、 これはますます凄いこと。 その一方で、司令官としての彼の、冷徹な思考と行動にも、畏怖の念を覚えた。 自分たちが置かれた捨石としての立場を確かに認識し、 それでも一日でも長く米軍を煩わせるべく、着々と準備を進めた上で、 実際に予想を遥かに上回る抗戦を続けたのであった。 私情に関わらず、自身のやるべきことを着実に遂行する、 何と気高い精神力を持った人だったのだろうか。 著者によって、栗林と面識のあった人々がご存命の内に証言を集めることが 出来たことは、本当に貴重だと思う。
荒野へ ジョン・クラカワー/佐宗鈴夫訳 集英社 借667 2009/07/20 ○ アラスカの荒野で遺体となって見付かった一人の青年。 彼が、なぜ恵まれた環境を捨てて放浪の旅に出たのか、どこを点々として、 どのように過ごしていたのか。彼の遺した手記や、 行く先々で彼と関わりを持った人々の証言から、彼の足跡を辿ったノンフクション。 意外だったのは、彼と同様に荒野へと放浪した若者たちが他にも数多くいて、 同じくついに客死した人も少なくないと言うこと。 そして著者自身も、若き日に荒野をさまよった経験があることが書かれている。 そのためか、こうした若者たちに対して、かなり好意的な立場で書かれていた。 正直言って私自身には、彼のやり方自体はあまりにも無謀に思われ、 必ずしも共感を覚えなかった。しかし一方で、家族に馴染めず、 現実社会から逃れようとして、かと言って人との関わりを完全には断つことも できなかった彼の心の動きは、確かに分かる気がした。
のぼうの城 和田竜 小学館 借1,500 2009/07/14 ◎ 石田三成が敢行した前代未聞の「水攻め」にも関わらず、 しかも圧倒的な兵力差にも関わらず、ついに落城しなかった武州・忍城。 この城を守り通したのは、何をやらせても頼りないばかりの無能の城主・ 成田長親(なりたながちか)だった。 家臣は勿論、農民たちからさえも「(でく)のぼう様」と半ば馬鹿にされていた彼が、 どうしてこの戦に勝つことができたのか。それぞれの軍の中で何が起こっていたのかを 刻々と描き出しながら、この歴史的な戦いの状況を詳らかにしてゆく。 貧弱そのものの烏合の衆だった成田軍が大きな組織力を発揮したのも、 結果的に水攻めを崩壊させたのも、この城主ならではの 人々の心を引き付ける力だった。 こうして偉大な戦果を挙げたにも関わらず、この城主の、 最後まで天然なのか意図なのか分からない捉えどころのない言動が、何とも痛快。 人物描写はいかにも戯画的ではあるが、 登場人物の一人一人が明快過ぎるほどに個性的で、 それぞれ物語の中で印象的な役割を演じている。 舞台は私の地元に近い埼玉県行田市とその周辺で、馴染みの地名も頻出。
にせもの美術史 トマス・ホーヴィング/雨沢泰訳 朝日新聞社 借2,500 2009/07/12 ニューヨーク・メトロポリタン美術館の館長を務めた著者による、 贋作についての実例集。 前半では、近年実際にあった数々の贋作事件が、特に著者の専門分野である 古代・中世の彫刻を中心に紹介される。 複製と贋作、修復と贋作など、線引きが微妙ものも含めて、 贋作そのものは古代から脈々と続いて来ていることなのであった。 しばらく前に日本でも、旧石器時代の出土品を巡る偽装事件があったことを思い出し、 歴史は繰り返すものと改めて思う。 後半では、著者の学生時代から学芸員見習い時代、そして館長に至るまでの間の、 贋作にまつわる経験が語られる。ここでよい所は、著者自身の失敗、 すなわち贋作に騙されて大きな損害を被った事件も含めて、 きちんと書かれていること。 お気に入りの鑑定家を持ち上げすぎの感がある箇所もあるが、 騙そうとする側とそれを暴こうとする側の攻防は、一種の頭脳ゲームのようで面白い。 なお本書によると、損保ジャパン東郷青児美術館にあるゴッホのひまわりにも 贋作の疑いがあるとのことで、かなり驚き。
ドキュメント真贋 ギー・イスナール/田中梓訳 美術公論社 借1,300 2009/07/08 ○ 贋作絵画の捜査を専門としてきたフランスの警察官による、 数々の美術贋作事件についてのドキュメンタリー。 贋ゴッホ事件をはじめ、現代の大小さまざまの贋作事件がリアルに紹介され、 画家・画商・鑑定家・買い手を巻き込んで騙し騙され、 入り組んだいくつもの事例の謎解きは、まるで推理小説のような面白さがある。 しかも、著者自身が同僚と共に身を以って実際に体験した出来事ばかりなので、 当事者の会話も含めて臨場感に溢れている。 著者の気の向くままに関連する話題へと次々と飛んでゆくので、 話の流れが散漫になりがちだが、その分だけ採り上げられる話題は多岐に及んでいる。 文中に登場する真作・贋作の多くの図版が(モノクロだが) きちんと収録されているのもよい。 最終章では、著者が実際に会った数々の画家たちとの対話の様子が、 次々と手短に披露され、今や伝説となっている巨匠たちを身近で見た生の姿は、 何とも興味深い記録になっている。
利休にたずねよ 山本兼一 PHP研究所 借1,800 2009/07/06 ◎ 豊臣秀吉から割腹を命じられた千利休。 栄華と名声を極めた彼がそのような事態に至るまでの生涯の出来事を、 若き日に彼の胸の奥底に秘められた想いと言う原点に向かって遡ってゆく物語。 章毎に時代を逆行しながら、しかも主観を交替しながら、 それぞれの事件の理由や背景を順次明らかにしてゆく構成が、非常に巧妙。 次々と解き明かされる謎の先にある更なる謎が気になって、 途中で止められない面白さがある。 ここで描き出される利休と言う人は、美に対する確かな感覚を持ちながらも、 決して聖人然としたところがなく、むしろ毒々しいほどに生々しい 一人の男の姿をしている。一方の秀吉も、下品で貪欲な俗物でありながら、 不思議とある種の卓越した感覚を持っていて、 それ故に両人の関係は危うい均衡にあったのだ。 利休の生涯については、野上弥生子や三浦綾子の小説でも読んだことがあり、 それぞれ非常に面白かったが、それらとは随分と異なる印象。 どこまでが史実に基づいているのか興味がある。
贋作者列伝 種村季弘 青土社 借1748 2009/07/04 ○ ゴッホ、フェルメール、デューラー、中世フレスコ画、古代遺跡からの出土品など、 様々な美術品の贋作事件を概観する。一つ一つの事例については あまり深く掘り下げてはいないが、 「贋作」と一括りにするにはあまりに状況が違い過ぎる 多くのパターンが紹介されていて面白い。 画家や彫刻家の贋作の動機もいろいろで、 時には本人が贋作していたつもりがない場合さえあるのは意外。 画商が騙したり騙されたり、研究者や鑑定家が騙したり騙されたり、 それぞれの利害関係やプライドを巡って、責任を押し付け合い、 時には醜い争いさえ展開されていて、 表向きには格調高そうな芸術の世界も、裏では人間臭い骨肉のドラマなのであった。 誰の肩を持つ訳でもなく、やや突き放すような、客観的な視点で書かれているのが、 この本のよいところ。モノクロですが、実作品の図版も多く収録されている。
私はフェルメール 20世紀最大の贋作事件 フランク・ウイン/小林頼子・池田みゆき訳 ランダムハウス講談社 借1,800 2009/07/01 ○ フェルメールの贋作によって世を震撼させた画家 ハン・ファン・メーヘレン(1889-1947)の伝記。 贋作発覚前後の顛末は勿論のこと、贋作制作の動機となった美術批評家との確執や、 さらにその背景にある彼の生い立ちなど、彼の全貌が詳しく描き出されている。 面白いのは、当初の贋作の動機が、金銭的なものではなく、 むしろ美術界や批評家への復讐であったこと。 しかも、単に思い付きで描いたのではなく、何年にも渡る研究と試作を重ね、 周到な準備を経て、贋作に取り組んでいたのである。 彼がやったことは決して褒められた話ではないが、しかしこの事件は、 美術作品の価値の捉え方について、色々な問い掛けを突き付けているよう。 実際の偽フェルメール作品もカラーで掲載されていて、現在の我々には 素人目からも明らかに異質な感じがするが、当時は 美術界の権威でさえ騙されてまった程、生の情報が少なかったと言うことなのだろう。
フェルメールの世界 17世紀オランダ風俗画家の軌跡 小林頼子 日本放送出版協会 借1,160 2009/06/27 ○ 同著者による研究書『フェルメール論 神話解体の試み』の内容を、 一般向けにコンパクトにまとめたような本。 天才画家の神話によって覆い隠されてしまった画家の真の姿に目を向けようとする、 著者の姿勢は一貫している。しかしここでは、 瑣末な分析が削ぎ落とされている分だけ、全体としての議論の流れは むしろ分かり易くなっている。 17世紀オランダの風俗画家の歴史の中にあって、 同時代の画家から多くを取り入れながら、独自の表現方法を編み出していた フェルメールの特質が、豊富な具体例を元に説明される。 また、19世紀のフェルメール「再発見」のからくりや、20世紀の贋作事件の顛末など、 美術鑑賞の本質を問うような事件についても、比較的多くのページが割かれている。 真贋判定の話題も興味深い。昨年のフェルメール展(東京都美術館)で 真作として展示されていた2点 を、著者は真作と判断しておらず、 専門家の間でも判定が割れている状況を目の当たりにして、 問題の難しさがよく分かると共に、美術研究の最前線を見せてもらっている気がする。 カラー図版が少ない(表紙を含めて9点)のは残念だが、 それでもモノクロ図版80点や全作品の情報一覧なども盛り込まれ、 小さな本ながら充実した内容。
フェルメール論 神話解体の試み 小林頼子 八坂書房 借7,900 2009/06/17 ○ フェルメールの作品とその時代について論じた研究書。 「フェルメール再発見」による神格化によって覆い隠されていた本質を 明らかにしようという取り組みがなされている。 冒頭には、現存する作品32点と、著者が偽作と判定する4点が、 大き目のカラー写真で収録され、また巻末には、全作品の詳細や来歴、 フェルメールに関連する古文書とその内容の一覧、 フェルメールの財産目録や家系図など、充実した資料集が付されている。 これらを踏まえて著者は、画家の生涯と、彼が生きた社会背景、 そして個々の作品について、詳細に解説および考察してゆく。 極めて詳細な議論がなされていて、制作年代の判定や、同時代の画家との相互作用、 画家の制作方法の解明、作品の意味の読み解きなど、 他の研究者による学説も紹介しながら、著者ご自身の考えを明らかにしてゆく。 個人的に疑問に思うのは、制作年代の位置付けのこと。 大半が様式的な判定に拠っていて、その前提として 画家の作風の変遷を想定しているため、 どうしても仮定に基づく仮定のように思えてしまう部分があった。 もっとも、巻末資料集によれば他の研究者も概ね似た見解のようなので、 それなりの重みがあるのだとは分かるが。 本文中にも計268点におよぶ図版が含まれ、至れり尽くせり。 質・量共に極めて充実した大型本で、私のような素人にも隅々まで楽しめた。
楽譜の文化史 大崎滋生 音楽之友社 借1,500 2009/06/13 ○ 楽譜、特に印刷譜(出版譜)の辿って来た歴史と、 その時代の文化との相互関係について、論じられている。 筆写譜から、活字印刷、エッチング(彫版印刷)、リトグラフ(平版印刷)へ、 印刷技術の革新によって、そしてそれと同期した社会構造の変化によって、 楽譜出版は大きくスタイルを変えてゆく。特に18世紀は、 市民社会が成立する時代でもあり、楽譜出版にとっても転換期であった。 この時代の状況については、著者の専門分野でもあるハイドンの楽譜を例にして、 具体的に詳しく紹介されている。当時から現在まで脈々と続く、 大手の楽譜出版社の来歴も面白いもの。 著作権や偽作の問題、作曲者と作品番号の考え方など、楽譜にまつわる話題の数々は、 時には音楽そのものの本質にまで関わっていて、興味の尽きないところ。 こうした道のりが、 やがて近年の原典版や古楽演奏へと続いてゆくのは必然だったことが分かる。
アントキノイノチ さだまさし 幻冬舎 1,333 2009/06/02 ○ 「遺品整理業」の見習い社員になった主人公が、 やがて職業人として成長してゆくまでの物語。 壮絶なる仕事の現場、そこで誇りを持って真摯に取り組む先輩社員たち。 一方で、主人公を高校中退へと追い込んだ、ある苦しい事件の記憶。 そして大切な人との出会い。 仕事と人との関わりの中で、主人公は徐々に心の病から解かれてゆく。 他のさだの小説作品と同じく、今回の作品についても、 文章にやや説明過剰なところがあり、 また善人としての人物描写や会話がやや安易なところがある気もした。 しかしストーリーとしては感動的であり、共感させられるところも多々あり、 希望の見えるラストシーンには目が潤んだ。 また、この知られざる職業の存在を世に知らしめた意味は大きいと思う。
謎解きフェルメール 小林頼子・朽木ゆり子 新潮社 借1,300 2009/06/01 ○ フェルメールの生きた時代や、個々の作品の見どころなどが、 読み物風に綴られた評伝。全ページがフルカラーで、 現存する全作品が採り上げられている。 作品の成立年代純に作品が解説され、それらが作風の変遷として説明されているのが 興味深い。制作年に加えて、真贋の判断、更には作品の質の判断について、 著者自身の主張がしっかりと書かれている。 これは、明快でそれなりに納得性がある反面、やや客観性を欠いているきらいがある。 更には、フェルメール「再発見」の真相、作品の盗難事件について、 ハン・ファン・メーヘレンによる贋作事件など、 作品から派生した事件についても触れられていて、それぞれ興味深い。
盗まれたフェルメール 朽木ゆり子 新潮社 借1,300 2009/05/31 ◎ 繰り返されて来た絵画の盗難事件と、それらの背景について、 特にフェルメールの作品に注目して採り上げる。 単なる作品の所有欲としてよりも、むしろ、闇市場への転売、保険金目当て、 更には政治的要求を通すための脅しの材料としてなど、絵画盗難の理由は、 まさに社会の状況に連動している。 そんな中で、残存点数の少ないフェルメール作品は、格好の餌食とされて来た。 去年のフェルメール展で来日していた「手紙を書く女と召使い」も、 盗難の被害にあったことのある作品だったとは驚き。また、 盗まれてから数十年を経た今も発見されていない作品があるとは、何とも残念なこと。 美術作品そのものの解説書ではないが、背景にある面白い(と言っては不謹慎だが) 世界のことを知って、作品への興味は更に深まる。
アンデスの聖餐 クレイ・ブレアJr./高田正純訳 早川書房 借300 2009/05/22 ○ 1972年の「ウルグアイ空軍機遭難事件」について、 アメリカ人ジャーナリストによるルポルタージュ。 先に呼んだ『生存者』と、大まかな構成はと似ていて、 遭難者と家族の両面から事件が時系列に描き出されているが、観点にやや違いがある。 『生存者』に比べると、家族側の視点で見た捜索状況や、 生還後に彼らが取り巻かれた騒動について、より詳しく書かれている。 また、墜落原因についての考察など、客観的な分析もなされている。 一方で、遭難者当人たちについての物語は『生存者』に比べると大雑把だが、 しかしこちらにしか載っていないエピソードも少なからず見られる。
生存者 P.P.リード/永井淳訳 平凡社 借940 2009/05/19 ◎ 1972年10月13日、ラグビー選手たち45人を乗せたウルグアイ空軍機が 雪深いアンデス山中に墜落し、生存はとうに絶望視されていた72日後、 奇跡的に16人が生還した「ウルグアイ空軍機遭難事件」について、 イギリス人作家が生存者本人たちに取材して書いた詳細なドキュメンタリー。 ウルグアイの社会背景から始まって、行方を絶った飛行機の乗客たちと、 懸命に手掛かりを求める家族たち、その両面から事件の経過が時系列で語られる。 当事者たちの証言に基づいているだけに、描写は生々しいリアリティを持っている。 墜落直後の阿鼻叫喚、極寒の雪山の状況、雪崩による更なる悲劇、 極度の飢えに対する彼らの決断、救出までの困難な道程など、 この上ない極限状況に置かれた2ヶ月強の彼らの壮絶な生きた姿が、 鮮明に再現される。 16人の生存者のポートレートを含め、貴重な写真も多数収録。
フェルマーの最終定理 サイモン・シン/青木薫訳 新潮社 781 2009/05/16 ○ 17世紀フランスの数学者フェルマーが本の余白に書いたメモに仄めかした、 方程式の証明の存在。 それから三世紀半もの間、この数式に取り憑かれた数々の数学者たちと、 ついに1997年に証明を成し遂げたイギリスの数学者ワイルズの、 苦闘の軌跡を紹介する。 数式自体は誰にでも分かる単純なもので、それだけに その証明に挑んで敗れた人々の物語は、非常に興味深く、スリリング。 理論としての数学の世界がこれ程までに奥深いものであること、 そして高度化した理論が結んだ焦点にこの定理の証明が位置していることが分かる。 証明には高度な数学理論が必要になるため、この本の中では、 概要と話の流れが説明されている程度。とは言っても、 素人にも雰囲気を掴めるように、複雑な話を噛み砕いて見せた著者の力量も見事。
その街の今は 柴崎友香 新潮社 324 2009/05/12 ◎ 大阪の市街を舞台にした、失業して喫茶店でアルバイト中の28歳の女性の、 日々の物語。 親しい人たちとの日常会話、付き合わされた合コン、再会した昔の恋人、 そして新たに芽生えたほのかな恋心。 ささやかな出来事が、まるで自分の目の前にあるかのように繊細に描写されている。 今まで読んだ柴崎作品の主人公はほぼ学生か新社会人だったが、 この作品では少し年齢が進んだ分だけ 主人公は大人で、勤務先の倒産などの憂き目にも遭っている。 しかし、描かれているのはあくまでも、自分の手の届く範囲の小さな出来事と、 その時時の主人公の心模様のこと。 自分が生まれ育った大阪の古い写真に心を踊らせる主人公の、 「この街がほんとうに好き」な気持ちが、 そしてその気持ちを恋人と共有できる喜びが、脈々と伝わって来る。 柴崎さんらしい、決して大袈裟にしない、どこまでも淡々とした文体が、何とも 心地良く、ラストシーンの鮮やかな情景には、思わず身震いする程の感動を覚えた。
Presents 角田光代・松尾たいこ 双葉社 571 2009/05/09 ◎ 女性が受け取った12のプレゼントを主題に、 角田さんの短篇小説と松尾さんのイラストレーションとを組み合わせた本。 採り上げられるプレゼントは、有形・無形いろいろで、 あえて脈絡のないものが選ばれている。 角田さんの小説は、今作ではドロドロした心理描写は抑えられ、 心温まるような物語が続く。しかも、これだけバラバラの主題にも関わらず、 女性の生涯を辿るような年代順に並んでいる。 思わず涙が出てしまったものもいくつか。 例によって、一つの枠組みの中で完成度の高い連作を作る角田さんの手腕はさすが。 松尾さんのイラストは、淡い色彩でありながら、くっきりした画面の具象画。 小説と独立して制作されているため、小説の場面とはほぼ無関係で、 それがかえって面白い効果を生み出している。
エコノミカル・パレス 角田光代 講談社 400 2009/04/26 フリーター男と同棲している雑文書きの女性。 生活家電は壊れ、年金は滞納し、公共料金や家賃を払うのがやっとで、 ついに消費者金融に足を踏み入れてしまう状況なのに、 昔の友人が恋人を連れてアパートに転がり込んで来て、 いよいよ経済的に行き詰まって来た頃、 女性は、よく知りもしない年下の男にうっかり好意を抱いてしまうのであった。 角田さん初の「経済小説」で、しかし経済と言っても、 あくまでも一般人の身近な経済感覚のレベル。 若者の世代や親の世代の言動も含めて、どこか現実感覚がずれていて、 いかにも今の時代らしい感じではある。ただ、現実の経済観念を持っていながら どこか現実から浮ついた感覚で生きている主人公たちの自堕落な生き様に、 私はあまり共感を覚えなかった。
有元利夫全作品 有元利夫 新潮社 8,300 2009/04/25 ○ 画家・有元利夫(1946-1985)の全作品を収めた、カタログ・レゾネ。 絵画作品と版画作品に分けて、それぞれ製作年代順に作品のカラー写真を掲載する。 作品総数は約500点。これだけの作品数を系統立てて見てみると、 作風が最初期から一貫していること、 気に入ったモチーフや構図を何度も試みていることなどがよく分かって来る。 代表作は1ページ1点で大きめの図版で収録されているが、 多くの絵画作品が1ページに2〜6点程度、版画作品では1ページに最大16点程度と、 やや小さめの図版になってしまっているのが惜しい。 もっとも、このページ数に全点を収めているのですから、仕方ないことだが。 なお、本書に収録されているのは絵画や版画などの平面作品に限定されていて、 彫刻や陶芸などの立体作品については、 『花降る日』(→2008/05/06)に収められている。
カラー図解 ピアノの歴史 小倉貴久子 河出書房新社 2,200 2009/04/24 ◎ フォルテピアノ奏者の小倉貴久子さんが、黎明期から近現代に至るまでの フォルテピアノの歴史について、大いに語る一冊。 浜松市楽器博物館などの協力のもと、数々の美しい楽器の写真が、 フルカラーで全ページに満載され、見ているだけでも楽しい本。 更に、各楽器についての解説や、その時代の作曲家のエピソード、 楽器の構造の説明など、詳細記事も充実していて、 この楽器の辿ってきた変遷の系譜と、その裏にある楽器製作者たちの 創意工夫や苦心の痕跡が伝わって来る。 何と言っても、著者の楽器に対する愛着と熱意が文面に溢れていて、 それに釣られて面白く読めてしまう。 付録のCDは、各時代の典型的な楽器による演奏が収録。 主に有名曲が集められていることもあり、観賞用としても充分に楽しいもの。
おやすみ、こわい夢を見ないように 角田光代 新潮社 476 2009/04/18 ◎ 身近な存在でありながらどうしても理解し難い相手との冷ややかな関係が描かれた、 7つの短篇を収録。 「このバスはどこへ」では、夫の意向で不本意な田舎暮らしを強いられる主人公と、しばらく会わない間にどこかが変わった友人夫妻、そして彼女をかつて虐げ今や老いた女性教師。 「スイート・チリソース」では、些細な見解の不一致から夫との小競り合いを繰り返す主人公と、異様なまでに潔癖だった母、そして勤め先の図書館に入り浸る謎の女。 「おやすみ、こわい夢を見ないように」では、同級生の男の偏執に迷惑させられる主人公と、男への反撃策に力を貸そうとする引きこもりの弟、そして公園にいる浮浪者の女。 「うつくしい娘」では、弁当工場で働く主人公と、引きこもって醜く太った娘、そしてようやく親しくなりかけた工場に新入りの女。 「空をまわる観覧車」では、自身の浮気によって妻に対して低姿勢を強いられる主人公と、その強い立場を楽しんでいるような妻、そして男を呪うと言って姿を消した浮気相手の女。 「晴れた日に犬を乗せて」では、いい人と思われていることを自覚する主人公の男と、かつて男を平然と棄てた女、そして寡黙なようでいて全てを見透かしているようでもある職場の同僚の女。 「私たちの逃亡」では、平凡な繰り返しを愛する主人公と、子供時代に無二の親しみを感じながら理解し難い憎悪感を湛えていった友人、そして自分たちを疎外した同級生たち。 これらの主人公は皆、自身が精神的に追い詰められた状況下にあって、 しかも理解し難い相手の心の闇と対峙せざるを得ない状況下に置かれている。 「話せば分かる」なんて単純に解決できる筈がない、人と人との埋め難い距離感を、 冷酷に突き放すような筆致で角田さんは描き出している。
「婚活」時代 山田昌弘・白河桃子 ディスカヴァー21 1,000 2009/04/08 ○ 結婚することが難しくなった現代の実態と、その背景について、 山田氏が社会学者の視点から、白河氏がジャーナリストの視点から、それぞれ分析。 山田氏による、規制緩和などの社会環境の変化と結婚難との相関の分析は、 非常に興味深く、しかも納得性がある。 氏の旧著『パラサイト・シングルの時代』(→2000/03/12) でもそうだったが、この時代の典型例に自分の状況がぴったり当てはまってしまい、 嬉しいような悲しいような気分。 一方の白河氏は、多方面の取材から得た実例を次々と列挙することによって、 この時代の実相を生き生きと伝えている。 但し、山田氏の冷静かつ共感的な分析に比べると、 白河氏は個別事例をおもしろおかしく紹介するきらいがあり、 両者の姿勢にはやや温度差があるようにも思えた。
しあわせのねだん 角田光代 新潮社 400 2009/03/28 ◎ 角田さんが1年の間に買ったいろいろなモノやその値段について、 それらにまつわる意気込みや経験について、語った24篇のエッセイ。 ランチからカバンから家電製品、更には形にならないものまで、 採り上げられる対象は多種多様で、 しかも至って普通の庶民的感覚で共感を呼ぶようなものばかり。 語り口調で気楽に読ませてしまいながら、時には笑わされてしまったり、 時にはさり気なく鋭く要所を突いていたり、 時には思わず目が潤んでしまうほど感動的だったりもする。 与えられた一つのテーマで集中的に文章を書いて、 その枠内で最大限の多様性を持たせながら、そつなく高水準に仕上げてしまう、 角田さんの手腕には、いつもながら敬服の念を覚える。
まほろ駅前多田便利軒 三浦しをん 文藝春秋 543 2009/03/08 ◎ 東京郊外の街中で「便利屋」を営む主人公。 病院の見舞い、ペット預かり、庭の掃除に納屋の整理、ドアの修理、子供の送迎、 頼まれれば基本的に何でもやるポリシーだが、ある日、 ふとしたきっかけで高校時代の同級生が事務所に転がり込んで来て、 彼の無神経さを腹立たしく思いつつも、彼に昔の負い目を持つ主人公は やむなく彼を仕事のパートナーとして受け入れた。 しかしその頃から、彼らはちょっと危険な「裏通り」の仕事への関わりを 余儀なくされてしまう。 一見ほのぼのと暢気な物語のようでいて、 中盤から意外にシリアスな展開を見せ、 その背景には彼らが内に抱える「家族」への複雑な想いが横たわっている。 それぞれの人には、言葉では表せないさまざまな境遇があって、 それぞれにさまざまな「幸福」の形がある、 そんな当たり前のことを改めて思い起こさせてくれた。
「やり直せることなんかほどんどない。 いくら期待しても、おまえの親が、おまえの望む形で愛してくれることはないだろう。 だけど、まだだれかを愛するチャンスはある。 与えられなかったものを、今度はちゃんと望んだ形で、 おまえは新しく誰かに与えることができるんだ。 そのチャンスは残されてる」(p.163)、 この言葉の重みが、今の私にはぐさりと深く突き刺さる。
フルタイムライフ 柴崎友香 河出書房新社 570 2009/03/07 ◎ 美大を卒業して機械メーカーのOLとなった新入社員の日々の出来事が、 淡々と描き出される。 最初は不慣れな事務作業も段々と手際よくこなせるようになったり、 同僚たちとのとの他愛もない雑談や愚痴を楽しんだり、 学生時代の友人たちとも遊んだり、 好きな人に振られたり、また別の人が気になり出したり、 一方で業績不振によるリストラの噂が出たり…、 大袈裟な事件など起こらず、ただ日々のささやかな出来事の積み重ねが、 自分の生活を作っている、その感覚が誰にも共感を生むだろう。 主人公はこの会社生活に対して、否定的な見方をしないどころか、 むしろ無意識的に全てを受け入れていて、自然に自分を馴染ませてしまっている。 そんな中で、少しずつ自身の内面が変わってゆく、それも良い方向に向いてゆく、 それがこの物語の最大の魅力だと思う。 まるで見てきたことのような細部の描写がリアルで、 何だか身近な友人の話のようにさえ思えてしまう。 主人公たちの交わす大阪弁の響きも、何とも心地良い。
さがしもの 角田光代 新潮社 438 2009/02/26 ◎ 「本」を主題にした9つの短篇を収録。 古書店に売った本と旅先でまさかの再会を繰り返す「旅する本」。 南アジアのバンガローに置かれた文庫本の持ち主に空想を巡らす「だれか」と、 伊豆の旅館の机に置かれた詩集に挟まれた手紙の書き手に空想を巡らす「手紙」。 一緒に暮らした恋人と共有した本の喜びと別れの「彼と私の本棚」。 その本を持っている人に災いが降ると思っていた「不幸の種」。 どこかの古本屋にある筈の沢山の書き込みの入った古書の「引き出しの奥」。 作家になった今になって思い返す地元の雑然とした書店「ミツザワ書店」。 ある本を探してくれと頼んだまま逝った祖母の「さがしもの」。 チョコレートでなく好きな本を贈ることにした女性の思い出の「初バレンタイン」。 巻末の、著者の本との「交際履歴」を書いたあとがきエッセイは、 まさに自分にも思い当たるところがあり、共感度が高い。 一つのテーマで集中的に、手堅く作品を作り上げてしまう角田さんらしい、 しかも読みやすい作品集。
森に眠る魚 角田光代 双葉社 1,500 2009/02/15 ◎ 富裕層の住まう新興住宅地を舞台に、幼い子供を持つ母たちの微妙な友情と その破綻が描かれる、非常に緊張感のある物語。 同じ幼稚園で、あるいはマンションが同じで、などのきっかけで互いに知り合った 4組の母子は、間もなく友人として親しく付き合うようになる。 しかし、境遇も経済力もそれぞれ頃なる彼女たちの関係は、 やがて子供の教育を巡るささやかなすれ違いから綻び始め、 小学校受験が近付くにつれて亀裂は決定的なものになってしまう。 こうしてじわじわと思い詰めた彼女たちは、まさに一触即発の様相を呈してゆく。 クライマックスに近付くにつれて抽象性を増してゆく文体は、 空恐ろしささえ漂う程の緊張感が持続し、 読者を引き付けて離さないまま、一気に読ませてしまう。
「絶望が消えたわけではない。それでもひとつ、わかったことがある。 世界が終わるようなショックを味わったとしても、世界は終わらないということだ。 残酷なほど正確に日々はまわる。」(p.340)、 そう、時の流れはかくも非情なものであった。
役にたたない日々 佐野洋子 朝日新聞出版 借1,500 2009/01/29 60歳代半ばの著者が、約5年間の日々の細々した出来事を、思うがままに書き綴った エッセイ。自身の老いを直視し、むしろ老いを誇るかのように、自身の恥も含めて 言いたい放題言っている感じ。話題は身近なことから社会問題まで気の向くままだが、 何れもあくまでも著者自身の一人称で見て感じたことが率直かつ堂々と書かれている。 著者のぞんざいな文体(と言うより口調)は少々品がなく、 いかにも年寄りらしい身勝手な発言もあり、正直言って個人的にはあまり お近付きになりたいとは思わないタイプ。しかし、遠慮のない辛辣な物言いの中には、 臆病な私などは決して口にできないようなことも多く、 よくぞ言ってくれたと思う所も多々あり。
軋む社会 本田由紀 双風舎 借1,800 2009/01/21 現代社会の、特に「教育・仕事・若者」が抱える問題についての論考を集めた本。 具体的な問題の実例について、まず分析を行い、定義付けを行った上で、 それに対する解決への提言を行っている。やや堅苦しい内容ではあるが、 自分にも関係するような身近な題材であるだけに、興味深く読むことができた。 さまざまな機会に発表された文章が混ざっているため、内容はやや一貫性に欠けるが、 内容の重複によって著者の力点がどこに置いているのかよく判る。 但し、およそ典型的とは言い難いいくつかの実例から一般論を引き出そうとする 傾向があり、結論がやや説得力を欠いている所があった。 また、一部の統計情報の使い方が、まず結論ありきで、恣意的に感じられたりもした。
ちいさな王子 サン=テグジュペリ/野崎歓訳 光文社 552 2009/01/14 『星の王子さま』の一連の新訳の中で、原題に従った表題にしている数少ない一つ。 「簡潔にして澄明、そっけないくらい剛毅な文体を」つらぬく方針。 文節の区切りが他の訳書と異なることなど、あまり原文には拘束されずに、 自由に訳されているよう。訳語の統一も徹底されず、 例えば「まじめな」が場所によっては「大事な」になっていたりする。 また会話の口調も、同一人物の語り口にしては統一感がない印象。 訳者自身が「一気に訳した」と仰る通り、あまり細部には拘っていない感じ。 挿絵の位置は、比較的うまくはまっている方だと思う。
新約聖書 訳と註 第一巻 マルコ福音書/マタイ福音書 田川建三訳著 作品社 5,800 2009/01/12 ◎ 私淑する田川建三さん、そのライフワークである『新約聖書訳と註』の第2回配本は、 待望のマルコ・マタイの巻で、 本文の訳118ページ+本文への註726ページ+解説と後書き24ページ=計874ページの大作。 訳文は「徹頭徹尾、一言一句、正確に」原文の雰囲気を生で伝えようとする直訳で、 しかしそれが不思議なくらい、明快で読み易い。 しかも、同じ単語が同じ訳語になっていて、不要な敬語の類が省かれているので、 本来言わんとしていたことが、今までになくストレートに伝わって来る。 更に本書の力点である膨大な訳註が、その理解を助けてくれる。 田川さんの諸著作と同様、専門的な議論であっても、 決して素人を煙に巻くようなことはなく、背景や理由を懇切丁寧に説明してくれる。 『口語訳聖書』や『新共同訳聖書』や欧米語の諸訳が抱える問題点を指摘しつつ、 そこに潜在する根深い固定観念を明らかにしてゆく。 これは単なる翻訳の問題を超えて、物事の考え方の根本にさえ迫る議論と言えるだろう。 キリスト教徒でも何でもない私が言うのも何だが、田川さんのこの仕事は、 日本の文化史に刻まれるべき偉業であるのは間違いない。

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(紺野裕幸)

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